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バケモノの子・一郎彦が鯨になった理由なぜ?小説の白鯨との関係も徹底考察

バケモノの子・一郎彦が鯨になった理由なぜ?小説の白鯨との関係も徹底考察
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こちらの記事では「バケモノの子・一郎彦が鯨になった理由なぜ?小説の白鯨との関係も徹底考察」と題してお送りしていきます!

細田監督の人気映画「バケモノの子」。

バケモノである熊徹と人間の子である久太の親子愛の物語と共に実はこの映画にはとても深い意味があります。

それは猪王山(いおうぜん)の息子である一郎彦(いちろうひこ)が鯨になって久太と戦うシーン。

この一郎彦が鯨になってしまう意味にはこの映画の大事なメッセージが隠されています。

さらにはこの映画のワンシーンに出てくる小説「白鯨」にも実は一郎彦が鯨に変身してしまうことが関係しているようです。

そこで今回は一郎彦が鯨になる理由とともに小説「白鯨」が出てくる意味や関係もわかりやすくご紹介していきたいと思います!

 

バケモノの子・一郎彦が鯨になった理由なぜ?

この映画を見ていただくとわかるように、猪王山の子供だと思われていた一郎彦は実は猪王山に育てられた人間の子供でした。

そして父親である猪王山が、自分の中で認めていない存在である熊徹に敗れそうになった時、自分の中の闇が現れ、熊吉を刀で刺してしまうのです。

その後、闇が爆発してしまった一郎彦は鯨へと変身してしまうのですがその意味とは一体どういう意味があったのでしょうか。

私の考えではこの様に考えました。

「心の闇が爆発=鯨に変身する」ということから「=本当の自分や本心の表れ」を表現しているのではないでしょうか。

一郎彦の心の闇に潜んでいる本当の自分の気持ちが爆発したことの現れとして鯨で表現されたと考えました。

またなぜ鯨?というところなのですが、その部分に関しては細田監督の狙ったメッセージがあると考えられます。

細田監督作品の映画には実は度々鯨が登場するものがあるのですが鯨の意味には

「大きな原動力や影響力」、また「大きな希望の象徴」という意味があります。

一郎彦の心の闇や思いの爆発を鯨で表現することで完全な「悪」ではなく、あくまで自分を正当化したい、正しいんだという思いからの原動力。

そして一郎彦の希望や「自分は強くありたいんだ!」という思いを持たせた上での「闇」を表現したかったのではないでしょうか。

ここで単なるバケモノや得たいの知れない生き物に変身するのではなく、鯨になるというところが細田監督映画の希望を残していて素敵なところだなぁと思いました。

もしここで一郎彦が普通のバケモノになっていたとしたら、一郎彦は単純に「悪の存在」になってしまいますよね。

野心や妬みから生まれた悪の存在となってしまってはただの悪者です。

しかし、一郎彦をただの悪者にはしたくなかった。

そこで考えたのが鯨に変身してしまうという表現だったのではないでしょうか。

またもし、一郎彦がただのバケモノに変身して久太と戦うというシーンになっていたとしたら、この映画を見た人も何の気にも留めない正義と悪が戦う場面になっていたと思います。

しかし、一郎彦が鯨になったことで少なからず見た人の中であなたの様に「なんで鯨?」と立ち止まって考えてくれる人がいるのではないかと思ったのではないでしょうか。

やはり鯨になったら見た人は「突然鯨??」と気になりますよね。笑

一郎彦はただの悪ではないし、なぜ心の闇を持ってしまったのかということを細田監督は見た人にも考えて欲しかったのではないでしょうか。

 

バケモノの子・一郎彦が鯨になった理由の心の闇とは?

一郎彦の心の闇とは自分が本当は猪王山の子ではなく、人間に捨てられた子であるという真実に対する恨みや葛藤、嫉妬心ではないでしょうか。

一郎彦は父である猪王山の様にキバが生えたり、鼻が伸びたりしないことで自分が猪王山の子ではないということを感じていた。

また、弟の次郎丸にはキバが生えてきたことでの劣等感も感じていたのではないでしょうか。

そんな思いから

「本当の猪王山の子でありたい。」

「父の様に尊敬される強い自分でありたい。」

と強く願う心の闇が生まれ、次第にそれが不安と共にだんだんと大きくなってしまった。

またどこかに感じていた久太と自分との差にも劣等感を抱き始めていたのではないでしょうか。

久太は幼い頃には次郎丸(一郎彦の弟)にいじめられてしまう存在でしたが、熊徹との修行を積んでいくことで次第に強くなり、周りに認められていきます。

久太も人間の子であり、自分と同じ立場であることで一郎彦の中に「久太にだけは負けたくない」という思いがずっとあったのではないでしょうか。

そしてそんな成長し認められていく久太を見ている中で自分の存在意義についても考えてしまいそれが闇となっていってしまった。

一郎彦の中で『本当はバケモノの子ではなく、人間の子である』という劣等感や不安が心の闇の原因に大きく関わっていたのではないかと思われます。

 

バケモノの子の一郎彦が鯨になった事と小説白鯨の関係は?

実はこの一郎彦が鯨の変身してしまうシーンの他にもバケモノの子の中で「鯨」というキーワードが登場しています。

その一つで久太が図書館を見つけ、楓と知り合うきっかけとなり手に取った本が「白鯨」でした。

そう、ここにもしっかりと「鯨」が登場していて伏線が引かれていたんですね。

またこのシーンでの久太と楓のやり取りの中で楓がこの様にも語っていました。

「鯨は自分を映す鏡」「自分と戦っているんじゃないかな。」

この白鯨という小説はメルヴィルという作者の書いた実話だそうです。

ストーリーの内容は片足のなくなってしまったエイハブ船長が自分の片足を奪った鯨に復讐をするというストーリーで最後には鯨と共に海に沈んでしまう少し悲しいお話です。

しかし楓が説明しているように、鯨に復讐の気持ちを持つエイハブ船長ですが結果的にその戦いは鯨との実際の戦いもあったのですが、本当の意味での戦いは自分の復讐心や心の闇との戦いでもあったというお話なのです。

つまり、この心の闇を表す白鯨の小説の登場は一郎彦が鯨になるというシーンで一郎彦が心の闇に囚われてしまっているということを表現するための伏線になっていたのです。

ここまで先のストーリーを踏まえた上で、違うシーンに鯨を使った伏線を引いている細田監督には本当に圧巻ですし、ただ単に鯨を登場させたのではなく、そう言った意味まであった上でしっかりとその後のストーリーに紐づくヒントを事前に入れている細田監督は本当に凄いなぁと思います!

さすが、これだけ大ヒットアニメーション映画を生んできた監督さんですね!

アニメーション映画の中でもメッセージがはっきりと表現されていました。

 

小説白鯨以外にも鯨の表現が!?

実はこの小説「白鯨」が登場する蓮と楓の図書館のシーンと以前にも鯨の表現がこのバケモノの子のストーリーの中には隠されていました。

それは久太がまだ幼い9歳の頃の久太(蓮)の自宅でのシーン。

その久太(蓮)の部屋の中には白鯨の絵本バージョンではないかと思われる「白クジラ」の本が登場します。

かなり早い段階のシーンですでにしっかりとこの鯨でメッセージを伝えているんですね。

しかしそれで思ったのですがこのところどころに出てくる鯨はやはり大きなポイントで「バケモノの子」の作品を伝える上で、細田監督がどうしても伝えたいメッセージがこの鯨の意味なのではないかと思いました。

人の心には誰しも闇が存在するけれども、そこには大きな原動力や影響力が関わっていて、しっかりと希望も残されているんだよということを伝えたかったのではないでしょうか。

「人の心の闇にも希望がある」ということをところどころのシーンで鯨を使って伝え続けることでバケモノの子には単に親子愛で悪に勝つというお話しだけではなく、悪や心の闇についても深く考えさせられる映画になっているのですね。

 

まとめ

「バケモノの子・一郎彦が鯨になった理由なぜ?小説の白鯨との関係も徹底考察」と題してお送りしてきました!

人気の映画バケモノの子は何度見てもそのストーリーに魅力を感じる映画だなと思います。

また単に親子愛を表しているアニメ映画というわけではなく、しっかりと人間の考え方や気持ちも描かれている作品なのでその意味まで理解したくなる映画ですよね。

今回は一郎彦が心の闇に囚われてしまいなぜ鯨になったのかという理由について考察としてお話しさせていただきました。

また実はストーリーに登場する小説「白鯨」にもしっかりとその意味を持たせており、関係がしっかりあるのではないかということもわかりました。

本当にストーリーの細部にまで意味を持たせてくれる映画にはやはり見応えをかなり感じますし、この意味も見ている人それぞれの見解で考えた時にはさらにこの「バケモノの子」は大きく深い意味を持つ素敵な映画になっていきますよね。

見る人の見方によってもその意味の解釈を楽しめる映画が「バケモノの子」なのではないでしょうか。

ぜひ皆さんもこの「バケモノの子」では細かい描写やストーリーにも注目して見てみてください!

そうすることでまた新たな発見を見つけられるかもしれません☆